ディベート雑記

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日本語即興ディベートをやった

こんにちは。自粛でゲーセンが閉まってるので先輩のきついれなが開催している日本語即興ディベートの練習会に数時間前に参加してみました。

日本語ディベートを初めてやる人間の視点から感じた違いなどについて書いていきます。校正とかしてないので誤字などたくさんあると思いますが無視してください。

 

英語即興の人が日本語即興を始める際の理解、及び興味を持つことの一助になればと思い書いています。

 

 

目次

 

練習の概要

チーム 私含む英語即興ディベート出身3人チームと、日本語ディベート出身チーム(即興準備両方出身1人準備型出身2人?)

フォーマット 短縮版NA プレパ20分立論5分Reply4分 リプライはリプライ担当の人がいてもいいし本来のNAのようにPMLOが担当してもいい

モーション R1 THW legalize recreational usage of marijuana 

モーション R2  THR the social emphasis of charity/volunteering as a virtue(日本語では簡便化のために「本院は過度な無償奉仕活動の賛美を反対する」という論題に直して行われました)

私はR1ではMG、R2ではLOをやりました。

個人的な経験を言うと、高校では合計1年ほど英語準備型もやったことがあるのと、授業でタバコ廃止を日本語でディベートしたことがあるというのが英語即興以外のフォーマットの経験の全てです。

 

競技者として参加して思った事

結構前から日本語即興の存在はしっていて興味はあったものの大会にいくまでではないかなあと思っていたのですが、オンラインで練習会だったら気軽に行けると思って今回参加しました。大学入って最初に組んだパートナーと4年ぶりに組んだり、日本語界隈の知見を得られたりと総合的に楽しかったです。

 

・英語を日本語に脳内で変換する作業が大変だった

R1では特に「Burden of proof」「Legalization」「freedom of choice」「Black market」などの言葉の日本語訳を思いつくラグが生じて、スピーチで若干もたつくことがありました。「日常生活の母語であること」と「ディベートの言語であること」の違いを実感しました。

ディベート用語の違い

日本語の界隈でディベートのターミノロジーがどこまで日本語なのかなどが分からなかったので若干苦労しました。例えば「アーギュメント」「ガバ・おぽ」「モーション」「PM/LO」「スピーカー」「ハーム」「プリンシプル」などがどこまで通じるのかなどが分からなかったのでスピーチ中でぎこちない感じになってしまいました。DPMをやった時に、LOに対する反論で「LOが言った事への反論」と言ってしまい、訂正しようとして「否定側第一論者」とかいう謎タームを生み出してしまいました。たぶん否定側第一立論が恐らく正しい用語?ただベネフィットとかそういう言葉は普通に使っているようだった。

・日本語でスピーチすることの違和感

英語即興はやっぱりレトリックだったりを使用して「壮大な話」をすることが多いと思います。そういうマインドセットがあるせいか、日本語で他人に向けてスピーチをするということに対してかなり気恥ずかしさを覚える場面がありました。「states should not intervene into individual's choices」というのを「政府は個人の選択に介入するべきではありません」と訳すだけで何故かぎこちなさを覚えます。仮説は2つで、

 

(a)そもそも言語関係なく実はパブリックスピーチをすることに慣れていない説

特にEFLにとっては英語は「第二言語」であって、換言してしまえば記号としての言語の意味合いが強いと思っていて、だからこそ壮大なことをいうことの気恥ずかしさというものに対する心理的バッファーになっているのかもしれない。なのでレトリックを用いたスピーチに対する心理的機微を言語が隠蔽しているという説。

 

(b)日本語英語に固有な構造がパブリックスピーチへの向き不向きを規定している説

どの言語がディベートにおいて最も適しているかという意味で、どの言語が駄目とかいうつもりはないのですが、文字の構造とか、ですます調の有無はディベートにおいて影響をもたらすと思います。とくにですます調などの語尾はとても違和感を覚えていたところで、英語だったら強く断言して言い切りたいところでも丁寧語で喋ったり語尾を濁さざるを得ない言語(ないしはその言語の実際の社会での使用においてそういった用法が習慣となっている言語)でのディベートは、英語でのそれとだいぶ勝手が違うと思いました。

 

ここら辺は、英語が母語の人がスピーチする際はそういった恥ずかしさはないのか、日本文化になじんでいる英語が母語の人の場合はどうなのか見たいな比較実験があると解明できるとは思います。

 

・プレパの簡便さ

(モーションが割と簡単だったというのも多分にありますが)プレパがスムーズだった気がします。というのは、ディベート用語や英語でよく使う言葉に関しては上述の通り「英語→日本語」の返還をしなければいけないのですが、大部分に関してはやはり「日本語→英語」の変換をしないでいいという時間制約の少なさがとても大きかったです。そもそも日本語なら原稿なくてもある程度喋れるので原稿の絶対量が少なくて済む、加えて書く部分も英語で語彙を探すという手間がなくて済む。その結果ストラテジーとか反論とか比較の仕方などについて考える時間が十分確保できました。

 

・スピーチ時間について

今回は5分フォーマットでやったのですが、英語でスピーチする際と密度的な意味ではそこまで変わらなかったかなと思います。6分あると個人的にちょうどいいかなとは思ったものの、やはり母語でのスピーチなので時間は節約できるなと思いました。スピーチ時間というのはまあ言語に本質的に固有なものではないと思いますが、日本語界隈ではスピーチ時間は4-5分とかで英語即興のように7-8分あることは恐らく珍しい(?)そうなので、もしかしたら母語でやるなら7-8分もいらないのかもしれません。日本語ディベート自体が初めてだったのでその転換に関する負担などはありましたが、フォーマットとしては割と軽め(フィードバック含めて1ラウンドが1時間少しで終わる)で、気軽にできるというが印象でした。

 

・意外と適応できる

前述ないし後述する通り様々な文化の違いというのを感じたのですが、想像していたよりは割とできたかつ日本語即興・準備型出身の方からみても特に大きな問題はなかったという感想をいただきました。初戦は英語を日本語に変化するなどの苦戦があったのですが、R2では割と適応できたので、1試合とりあえずやってみると慣れると思います。

英語日本語というフォーマットというよりは結局言語化力に大きく依存していて、普段から日本語でアイデア言語化できるのであれば割とすぐに適応できると思いました。

 

 

日本語英語の文化の違いについて思った事

これはあくまで今回参加していた人から聞いたことなどを元に書いているので、日本語界隈全体がどうなのかという結論を導く根拠として薄いですが、感触として思った事を軽く述べます。きついさんなど両界隈を把握してる人のほうが正しい理解があると思いますので、あくまでこの練習会で感じたことからの推論であるということを注意してほしいです。

・全体として、準備型の影響を日本語は受けている気がする

過去の英語即興ディベートが英語準備型の影響を強く受けていたように、日本語即興というジャンルが日本語準備型に比べて比較的新しいカテゴリー(?)なことから準備型の影響をところどころで感じました。具体的には、(a)プリンシプルの評価 (b)ロジックの重要性(レトリックとロジックの差)(c)スピーチのスタイル(喋る速度、構成)についてそれぞれ「英語準備型と似ているな(つまり英語即興型と違う)」と思いました。

(c)に関して、今回私は英語即興での自分のスタイルとほぼ同じ(分析ナンバリングばらまき早口オタク)で、(最近英語即興でもマターボムスピーチは国際的にも増えてはいるものの)あまり英語即興らしくないスピーチだったのですが、日本語即興的には特に大きい違和感はないとのことでした。曰く、日本語準備型においてみんな原稿読むことによって早口になるし、細かくナンバリングをする(1-a,1-bのように)らしく、即興においてもそこまで違和感ないとのこと。正直どの程度の速さで喋ればいいのか、ゆっくり喋るべきなのかとか戦々恐々だったのですが、まあ英語即興で許容されている速度くらいだったら大丈夫だと思います。

・ジャッジのフィードバックが丁寧

割とポジティブにラウンドを評価してくれる(ありていに言うとやさしい)というのは印象として感じました。今回の試合を本当に「良い」と評価してくれただけなのかもしれませんが、取りあえず冒頭から褒めるというようなジャッジングの文化があるのかも知れないと思いました。

RFDなどの内容の精査で言うと、英語は「全体のクラッシュ別の評価」日本語は「個々の立論ごとの評価」をする傾向があるのではという話が出ました。きついさん談で、「日本語はフローの取り方が決まっていて、特定の立論とそれに対する反論などは矢印で明確に追う」という文化があるらしく、そこからジャッジングのスタイルの変化が生じているのかもしれないということでした。

英語の場合スピーチ時間が長いのでアーギュメントを全て精査するよりは全体を俯瞰するようなジャッジングが主流なのかも知れないというのも私見で思いました。

・メタディベートが丁寧

ごりごりのburdern controlとか比較とかメタ的な反論とかに関しては分かりませんが、「この分析をどう評価してほしいか?」というのを割と逐一述べている印象がありました。明示的に、「これは相手のここの立論に対する反論として評価してください」「相手のここが経っていないので、ここは評価できません」など割と丁寧に何と何がクラッシュしているのかなどをジャッジに示すことが割と文化としてあるような印象を受けました。その仮説を話してみたところ、日本語準備型において結局最後はエビデンスの細かい競り合いなどになるので、どこがどことぶつかっていてどう評価してほしいか明言することが割とあるとのことだったのでその影響かも知れません)

・イントロの有無

英語で言う「イントロ」はないのかな?と思いました。勿論禁止されている訳ではないですが、恐らくそういった叙述的なものがあまり重要視されていないではないかと思いました。英語準備型を高校でやっていた時も特にイントロなどはなかったので、ロジック重視の準備型とレトリック重視の即興という差が表れているのかなと思いました。あと、サインポストをスピーチの最初で言う習慣もないらしく、大きく英語即興と違うなと思いました。曰く、「最初に言わなくても内容が聞いて分かると思われる場合は特にしなくてもいいのではという風潮」らしいです。個人的に日本語ディベートは「論点は3つ」みたいなことを最初に言っているイメージが何故かあって、今回も毎回言っていたのですが、日本語ディベートとか関係なくただのオタクしぐさでした。

 

 

 

日本語即興の普及に際して

今回、「英語と日本語」という言語の差異に着目して練習会に参加したのですが、言語の違いよりも「即興と準備型」のフォーマットの差異が大きいと感じました。対戦相手の方が日本語準備型出身の方が多かったり、直前の章で書いた通り日本語即興は準備型の影響を受けているという仮説が正しいとすれば、言語よりも準備型への慣れというほうが結構パフォーマンスに寄与するものが大きかったと思いました。まあ日本語即興やったことないとはいえ英語即興やったことあるし日本語母語だしという英語即興出身の人は日本語即興に適応しやすいのでは?と思う一方、やはり言語は一緒でもそもそも準備時間や証拠の使用の有無などで思考の仕方の根本的なところのでの適性を要求される準備型出身の人のほうが適応が難しいのかもしれないというのは思いました。まあ100分でテスト受けるのが普通だったの人に10分で全問答えろっていうは結構無茶振りになのではというのもあります。

日本語準備型(英語準備型もあるのかもしれませんが)スピーチの間に「準備時間」というのが明確に設けられている場合もあるらしく自分のスピーチを用意する追加時間を使うフォーマットを練習の際でも使うと、即興型への参入障壁低下につながるのではないかという話も日本語即興をやっている方とも少ししました。実際に過去の日本語即興の大会ではそういった制度が使用されいたらしく、日本語準備型VS英語即興型という異種格闘戦では両者のバランスを取るために何か工夫できるといいなと思いました。

即興型ディベート自体の規模が広がると英語即興の方への興味なども増えると思うので長期で即興全体の人数が増えてくれるといいと思います。

 

英語即興やっている人へのベネフィット

長々書いてきましたが、日本語即興は結構面白いので皆さん一回くらい試してみるといいと思います。

 

ベネフィット

ロジックやアイデアを競わせたいというモチベが達成しやすい

英語喋るの面倒臭いないし反言語帝国主義の人にもおすすめ

文化やフォーマットの違いからいろいろ学べる

言語化力が身に着く

英語から離れてしまった社会人なども思考力などのリハビリとしてとっつきやすい

 

言語化力に関しては、英語即興をやる際にも役に立つ共通の能力だと思っています。よく英語のスピーチを聞いてて思うことは、「言葉の意味をちゃんと理解せずに使い、説明不足になっている」人が多いということです。所謂ビッグワードを投げているだけでちゃんと詳細を言語化できてない・冷静に何言ってるのかわからない意味不明なスピーチをしている人は、「そもそもそのスピーチを日本語(母語であると仮定)で説明できる?」ていうテストをクリアできてないまま言葉を投げている場合が多いと思います。日本語即興だとその言語化不足が露呈されるので、根本の言語化力を伸ばす手段の一つとして日本語即興は有用だと思います。

 

ただ、英語ディベートの「英語要素」「レトリック要素」などは日本語即興で代替できない(後者に関しては日本語即興内部のトレンドの推移に依拠しますが)かもしれないので、そういった人はハマらないかもしれません。