ディベート雑記

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高校未経験者と経験者の問題について

こんばんは。

コロナウィルスのせいでディベートの予定が10月のUADCくらいまで消えました。春休みはToeiCupに後輩と出たくらいしかディベートに関わっておらず、専ら勉強と料理と読書をする健常者の真似をしています。

本当はAWCで行った調査の結果を春休み中に公表しようとしたのですが統計的信頼性の無意味さ及び質的調査の観点からもやはり調査結果に正直意味がないという結論に至ったので2回目の断念となりました。来年やる人がいたら連絡ください。何か協力できることがあれば手伝わせていただきます。

本題ですが、今回は高校経験者の流入が未経験者に及す影響などについて書いてみました。2016年以降つまり私が入った時あたりから割と経験者が量的にも目に見える形で大々的に流入し始めたであろうこと、及び自身が高校経験者である事から色々と思うことがあるので筆を執るに至りました。

 

要約

高校ディベートの隆盛に伴って経験者の大学への流入が増えている。それが大学からディベートを始める人にとって継続し辛い環境形成に寄与している可能性がある。それを踏まえて何かそろそろ対策を講じる時期なのではないか。という去年あたりに話題になった議論の焼き増し。

 

注意事項

・個人の意見であるかつ特定の個人や団体にあてられたものではない。

高校ディベートの隆盛自体は絶対に肯定されるものである。ここで議論したいのは隆盛を踏まえた上でどうするべきかという議論です。

・以下で述べられている説はあくまで推測の域を過ぎず、実証などはしていません。「意見」としてとらえてください。

・同様の議論は既になされていると思うので大した新規性はないことは先に明記しておきます。

・適当に書いたので段落記号などが滅茶苦茶なのはご容赦ください。

・書いた内容が私自身にあてはまる可能性がある箇所があるのは承知していますが、取りあえずそこは度外視して読んでいただけると助かります。

 

1高校ディベートが隆盛している

 過去数年では数回母校やら県大会やHPDUでジャッジする程度しか直接的な関係を高校ディベートと持っていないので断片的な情報しか持っていないのですが、その経験やら情報やらを総合して推察するに今の高校ディベートは、未だ様々な課題を抱えつつも、隆盛していると思われます。私が高校でディベートをしていた時分、つまり2013-2015年(HPDUには1年生の時(2014年)と2年生(2015年)に出場しました)の時と比べて、1競技人口が増えている、2高校生にアクセス可能な情報が増えた、3(特にトップ層の)レベルが上がっているという所感があり、大会の参加チーム数や去年のWSDCでの日本チームの活躍などからこれらの推測は恐らく少なからず正しいと思われます。2に関してはオンラインリソースの量が増えていることやSNSによる繋がりの強化などが挙げられ、特にオンラインでの練習試合などは私が現役のころは試験的に極めて限定的に行われていたことと比べるとかなり増えているのではと思います。当然未だに地方と首都圏の格差などは当然残っているものの全体としては「隆盛している」という表現を使って差し支えないのではないでしょうか。

 この高校ディベートの盛り上がり自体は肯定するべきであり、その為に年単位で尽力してくださった関係者各位皆様に頭が上がらない、ということは先に強調しておきたいです。指導者もいない、リソースも限定的なものしかない、繋がりもない、練習試合の機会も数回しかないという状況で高校ディベートをしていた人間としては今の環境は不完全とはいえ当時の自分からすれば夢のようなものです。よく言われることですが、高校ディベートへの投資がその国のディベート力向上に直結することは想像に難くありません。それはディベートという奇怪な競技の世間的認知の向上及びそれに付随する支持の向上という社会との繋がりという面や、単純に強い経験者が大学ディベート流入することによって質と量ともに全体が向上するという面があり、大体ディベート強い国(シンガポールなど)は高校ディベートも栄えています。

 

2高校の時の経験が与えるアドバンテージについて

 これも既に恐らく議論になっていることだと思うので新規性がなくて申し訳ないのですが、「高校経験者の流入が未経験者の参入障壁になっているのではないか」という仮説を検証します。これは恐らく2019年に多少話題になっていたのではないかと記憶しています。具体的にIcho Cupにおける経験者と未経験者の別枠での表彰やUmeko Cupにおける経験者の出場数制限などを契機に、前述の仮説が公に議論されるようになったと記憶しています。

 数年続けていると忘れがちですが、英語即興ディベートという競技は(特にEFLにとって)は元々かなり始める難易度が高い競技です。言語能力プレゼン能力批判的思考力知識などかなり複合的な能力を同時に要求されること及び競技の自由度が高いこと(例えばどういうアーギュメントを出すかなど)を鑑みると、初めて数カ月は正直何をしているのかも分からないみたいな状態の人が大半なのではないでしょうか。ありていに言うと「ディべートの感覚」をなんとなく身に着けるまでの1,2年は割と大きな時間的投資が必要です。その感覚というのは所謂「セオリー」というのを理解することであって、例えば構成だったり、よくあるクッキーカッターを理解することだったりよく使われる分析を理解することだったりします。それさえ身に着けてしまえばその後は経験年数と実力の相関は薄くなっていく人が大半だと思います。「年齢の上の人が強い」というのは正しいようで正しくなくて、1ジャッジによるバイアス、2強い人しか長年コミュニティに残らないという二つがあるので年上程強いという風に見えるだけであり、仮にある代の人が全員n年ディベートを継続すると仮定した場合平均の成長率は逓減していくのではないかと思います。当然社会人になってから色んな知識や考え方を身に着けてさらに強くなるといった現象や、例外的にいつまでも成長する人などもいますが、平均的には経験年数と実力のグラフは上に凸で逓減するものだと思います。

 最初の1,2年間の経験が実力に大きく寄与するであろう事を踏まえて考えると、ただの直観に基づいた当てずっぽうな憶測で申し訳ないのですが、「所謂高校経験者の大学入学当初の実力は、大学から始めた未経験者の新2年生に比類するのではないか」と思います。これは近年のGemini Cupにおいて高校経験者のチームがブレイクしていることや、オープン大会のタブでもトップ層だけでなく経験者全体が未経験者新2年生に劣らないパフォーマンスをしていること、あとまあ個人的にジャッジしたり観戦したりしたことに基づく直観です。

 実際に私が優勝した以降のGemini Cupでは経験者がブレイクすることもベストスピーカーに入るのも珍しくない現象になっています。当然ブレイクしていない経験者等もいますがそれは未経験者の新2年生も同様であることを踏まえて、やはり平均として経験者は未経験者新2年生と同程度の実力はあるのではないかと思われます。もう一回念のために言いますがこれはただの仮定であり想像です。話を分かりやすくするための乱暴な単純化です。

 話を戻します。これは高校経験者だけではなくOBOGにも当てはまることだと思いますが、はっきり言って経験年数があまりにも違い過ぎる人間が同一の大会で同一のカテゴリーで戦っている様は、美徳ではありますが一種異様です。他の競技、例えば将棋やサッカーなど特にあなたが未だやったことない競技を想像してほしいのですが、2年経験がある人と同じ大会にでてまともに戦えるでしょうか。もしくは自分が既にある程度経験がある分野において初心者と戦って負けることがあるでしょうか。

 経験年数と実力の相関は当然1ではなくバラつきがあるのは事実です。例外的に強い未経験者の人も例外的に弱い経験者の人もいるでしょう。ただ大半の小中学生に微分は無理なのと同様、ディベートにおいても未経験者が一年生大会で、経験者が既にやったことのあるであろう古典モーションで勝つことは平均するとかなり難しいであろうことは想像に難くないです。面倒なので実証はしませんが、一年生大会で大量に経験者がブレイクしたりプライズに入っているのは高校での経験がアドバンテージになっていることを証左でしょう(余談ですが人伝てで今年のKK Cupでは未経験者の人間が経験者を差し置いて優勝したという反例を聞いて、純粋にすごいなという感想を得ました。)

 こういった論に対して「高校の時得られた経験は微々たるものであり、環境が整っている大学で始めたならば未経験者と経験者の差はすぐ縮まるはず」という論を聞いたことがあります。高校の時に所謂トップ層でなかった人、例えば地方で環境が整ってなかった状況での経験であれば平均して高校の時の経験は無視できるのではという考え方です。もう一度言いますが、今の高校生の環境が完全であるとは思っていません。地方格差など課題は多いでしょう。だとしても大学入学時点においてディベートに無理なく溶け込んでいけるだけの経験を持っていることは後々の学習においても肯定的に寄与します。英語をそもそも聞くことやフィードバックを理解するという能力もしかりですが、そもそもディベートを続けるだけの快適なスペースづくりがしやすいという点でアドバンテージがあるでしょう。

 明示的に言っておきたいのですが、「高校の時の環境はひどかったし、都内のトップの学校に比べて劣っていたから私はアドバンテージがない」という比較は誤謬です。正しい比較は「その高校での経験があった自分と、なかった自分、どちらが大学ディベートでよりよいスタートを切れるか」です。同様な議論が「秀でている未経験者と劣っている経験者の比較」にも言えます。例外的に成功している未経験者を指して「経験は能力に寄与しない」といったことを言うのは1に統計を理解していないのと2に上記のような誤謬を犯しているのであって、全く論理的ではありません。正しい比較は「その本人が高校での経験がある場合とない場合」での比較であるべきです(当然それが現実的に不可能であること、つまり因果的推論の根本問題はここで無視します)。これは、白人のホームレスと黒人のCEOを例に出して「人種は経済格差に寄与しない」と結論付けるようなものです。

 

 

3 未経験者の環境

「各大学でどれだけ未経験者が入部して一年後どれだけ在籍しているか」といったデータがないので「経験者の流入が未経験者が残りづらい要因になっている」という仮説をきちんと検証することはとても難しいのですが、未経験者の離脱率が高いという話を様々な人から聞くこと及び理論的には仮説を指示する理由がたくさんあります。

 1成功体験の欠如。練習試合でも大会でもいいですが、経験者と戦って負け続けるのは来るものがあります。前述したとおり即興英語ディべートは最初のほうは割とよくわからない競技であり、それを理解しようともがいている中長期間只管負け続けるのはストレスでしかありません。競技であり勝敗がつくこと、及びスピーチの評価が人格への評価であると錯覚してしまうことなどを鑑みると、一年目前半における成功体験というのは応酬として必要であると思われます。それが、2章で検証した経験者のアドバンテージにより独占ないし大部分を占められてしまうと未経験者としては「結果も出ないただ辛いだけの競技」となってしまいます。

 また、「経験者バイアス」という物があると思います。つまりジャッジが未経験者と経験者をジャッジする際に仮に能力やパフォーマンスが同等であったとしても経験者の方に勝ちを入れてしまうのではないかという物です。例えば「よく聞くサインポストないしそれっぽい言葉を使っている」という理由でVoteするなどは考えられると思います。特に学年大会だと2-3年生などジャッジの経験がまだ浅い人がジャッジをすることが比較的多いと思うのですが、そう言った人がそういったバイアスに影響されやすいのでは?という仮説も立てられるかもしれません。(誤解する人はいないと思いますが、「経験者は平均して未経験者より強い」という言説と「経験者バイアスは悪い」というのは当然矛盾しません。前者は相関があるという話であって、後者はその相関を個別のケースに適応してジャッジすることはおかしいという言説なので)

 2教育の欠如。これは経験者問題以前に様々な大学が組織として機能していないというもっと大きな問題を背景に持っていますが、ほとんどの大学も体系的なエジュケーションというのを一年生に出来ていないと思います。これは大学の執行代が殆ど二年生であり人に教える能力が未だないことや、能力のある先輩がエジュケに非協力的であること、または資料などの活用不足など複合的な要因が挙げられると思います。あとこれはもっと根本的な問題ですが、ラウンド練ばっかりやっているので知識や理論ベースでの学習が軽視されているというのが大きいです。本来個人の差を補完するはずである教育が未熟であるから経験者と未経験者の差が縮まりにくいのではないでしょうか。

 3スペースの欠如。これは大学内部でもいいですし大会でもいいのですが、「居場所がない」という話をよく聞きます。経験者は元々顔見知りだったりという理由で最初からコネがあること、先輩が経験者を贔屓すること、大会などにおいても経験者で活躍する人間のほうが知名度を用いた上がり人脈を作りやすいことなどが挙げられます。経験者がこういった事を自覚して人脈を作っているとは思いませんが良くも悪くも実力主義のこの界隈で無意識のうちにスペースという物が未経験者にとって不利なように形成されているのではないでしょうか。

 上記のような要因から経験者の流入というのが未経験者の継続とトレードオフ関係に現状ではなってしまっているのではと思います。

 個人的には、未経験者だろうが経験者だろうが関係なく努力しろよと思うし一定の努力量を超えれば経験年数と実力の相関は極めて弱くなると思うのですが、環境としてそもそも「未経験者が努力をする誘因体系及び実行能力を阻害する環境」になっているのはコミュニティとしては問題なのではないでしょうか。

 

4問題点

 述べるまでもないと思うのですが一応書いておきます。未経験者が残りづらい環境であると仮定するならばそれは極めて問題です。1にそもそも高校の時にディベートを知ること及び関与できたかどうかという要因で大学で不利を被るのは不公平であること、2に大学ディベート人口減少は文字通りコミュニティの衰退を招きます(競技人口、運営、大学現象による会場使用可能性の低下など)。2に関して、これはOBOGがオープン大会で学部生をボコボコにしてるからアクティブな現役世代が減っているのではないかという説もありますが、近年問題の顕在化が著しいです。最近のThe kansaiの参加チームが約20チームだったり、ここ2年秋Tの参加チームが40チーム前後だったり、割と本格的に策を講じるべき段階に入っていると思います(まあディベートなんてせずに他の事をした方が良いという賢い人が増えただけかもしれませんが…)。大会の参加人数というだけでなく、大学の衰退も激しいと思います。Insensitiveですが敢えてこの表現を使いますが、所謂「中小大学」という物がどんどん死んでいる事、及び「5大学」などと言われていた所謂強豪校も衰退しています。これはナショナルズなどの過去数年のタブを見ればわかることです。正直衰退には複合的な要因が考えられるので原因の特定等が難しいのですが、3章の仮説が正しければ経験者の流入というのも一端を担っていると考えられます。

 

5考えられる対策

 話が大きくなってしまいましたが、目下「未経験者が残りやすい環境をどう作れるか」という問題に対策を考えます。といっても、3章で述べた仮説を一つ一つ潰すだけですが。以下、実行可能性などを無視したナイーブな提案です。あくまでこれを書いている時点で「こういうのはどうだろう?」と思った程度の提案なので私見は変わるかもしれません。

 1大会で経験者と未経験者で違った参加条件・ブレイク条件を設ける。

2019年の段階で試験的に導入されていたとは思うので被ってしまいますが、例えばチーム内の経験者人数の最大値の設定、経験者にブレイクキャップを設ける(経験者の含まれるチームはnチームしか最大でブレイクさせない)、未経験者への個人表彰などが挙げられると思います。他にも、ルーキーブレイクのようにそもそも未経験者用のブレイクブランケットを作る、ないし未経験者のみに出場を許す大会を作る、オープン大会における経験者の「ルーキー」資格の剥奪などもあるかもしれません。このうちどの方法がいいかとか個別の方法の検証を長くなってしまうのでしませんが、取りあえず大会として未経験者のための制度を作ることは良いのではないかと思います。これはなにも新しい概念ではなく、ESL,EFLといった言語カテゴリーやルーキーカテゴリーと一緒です。英語を学び始めた環境の差、経験年数の差で既に異なる参加資格やブレイク権を制定しているので、それを高校の経験にも当てはめるのは無理はないと思います。

 「高校での経験」を無理なく定義するのは、ESLの定義が困難なのと同様に難しいものではあると思います。ただ、現状どのような大学でディベートをしていても一律に経験年数がカウントされている、つまり本当に一番弱い大学の人間も一番強い大学にいる人間も同じ時間だけディベートすれば同様の経験年数としてカウントされてそれが学年大会やルーキーとしての参加資格の指標となっていることを鑑みると、高校での個別具体的な経験、例えばWSDC出場経験やHPDU出場経験などを無視して一律にカウントするというのも手かもしれません。

即興型と準備型のシーズンがある高校が大半であったりと「高校での経験年数」の測定は難しいでしょう。私も高校で「部活に所属していた期間」は1年の春から3年の春までの2年間ですが、即興型をやっていたのは1年にも満たないです。自己申告で嘘などを防ぎ正確な情報を聞き出すガイドライン作りなどはここでは議論しないのですが、現状の言語カテゴリーの運用方法を参考にすれば大まかに指標ができるのではないかと思います。

こういったときに懸念とされるのが、「経験者の優位性をこういった制度によって認識の上で固定してしまうのではないか」というものがあると思います。しかしそもそも現状としてそういった認識を未経験者が既に持ってしまっている事を考えるとあまり大差があるとは思えません。それよりは1,2年続けてもらってだんだん経験者の同期にも勝てるという事を実感してもらうほうが現実的だと思います。

もう一つ付け加えると、下級生をジャッジするときに自身が多大なバイアスを持っている事をジャッジが自覚するのも重要だと思います。これは未経験者と経験者の試合だけではなく一年生VS上級生という場合でも同様です。たどたどしいマナーだったり、自分が慣れていないアーギュメントだったりという時に往々に評価を下げがちです。翻って、なんのロジックもないのによく耳にするサインポスト、例えば「freedom of choice」とかを聞くとなんとなく「このスピーカーはモーションを分かってるな」みたいに思ってしまうことがあるかと思います。海外大会でアクセントに関して明示的な注意がブリーフィングであるように、そこらへんも大会で言及してもいいかもしれません。

 

2 エジュケを工夫する。

エジュケ全体の質や量をそもそも向上させなければいけないという問題はあるもの現状持っているリソースの分配を工夫するのがいいと思います。一年目の前半の段階でセオリーを教える、例えばクッキーカッターなど、は流石に現状でもできるはずです。というかそういう初歩的なレクチャー資料は絶対に部の資料部かネットの存在しています。なければそういうレクチャーができる人を呼びましょう。部内にレクチャーできる人がいないなら報酬を出して外部から呼びましょう。当然「まともな」人をですが。

 上記に関連しているのですが、練習メニューをちゃんと組みましょう。「古典モーション」と「そのモーションの大きな対立に関するレジュメ一枚」をセットにするなど。例え2年生とはいえタバコ廃止とかくらいはワード1,2枚分くらい解説できる(paternalismや選択の自由に絡めて)と思うので、毎週担当を割り振ってマテリアルを作成するなどは無理ない範囲だと思います。これ以上は未経験者云々というかエジュケ云々になってしまうのでやめますが、未経験者にはちゃんと「体系的な」「復習可能な」形でエジュケしてあげるのがいいと思うので、適当にラウンドやって曖昧なフィードバクをするよりレジュメを作るのが一番早いと思います。

これは日本で前例をあまり見たことがないので何とも言えませんが、先輩に新入生を割り当ててコーチングするというのも海外ではよくある方式だと思います。所謂エジュケ係という物を捻出できる大学がどれほどあるかは疑問ですが、コーチングとまではいかなくても気にかけてあげるくらいならできるのかなと。

 基本的なことになりますが、3章で挙げたような未経験者が直面するであろう困難さを意識して接することが根幹になるのかなと思います。

 まとめになりますが、高校ディベートの隆盛自体は喜ばしいことですが、それに伴って大学ディベートも制度や環境を変容させる時代が来たのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

6 私見

 当然ここまでも全て私見にすぎないのですが、ここからはどういう問題があってどうするべきかみたいな提案を主とした議論ではなく、ただ単純に非生産的な意見というか偏見をつらつら述べるだけなので気にしないでください。

 これはずっと思っているし公言していることなのですが、経験者、特に平均以上の環境と経験があった人間、が一年生大会などに出る理由が分かりません(ここでいう理由がわからない、というのは文字通り理由に見当がつかないという事ではなく、参加理由を理解したうえで批判の意です)。未経験者ボコってむなしくならないのか、どうせ1年後には忘れられている学年最強とかいうタイトルそんなに欲しいのかとか色々疑問に思うことがあります。梅子杯に出た知り合いの経験者の後輩は「別に出たくないけど他の経験者が出るし負けたくないので出る。本当に出るのいやだ」みたいなことを言っていました。同世代の未経験者よりは優れているという自負ともっと強い先輩よりは弱いという不安感のジレンマの結果として現れた自己肯定感への渇望が学年大会タイトルで満たすという行動として表出しているだけであって、本質的に経験者が一年生最強という経験の差を無視したタイトルを獲得することに意味はあるのか?と疑問に思います。同期に差をつけてプライドを守りたいならオープン大会で結果を残せばいいのではと思いますし、正直学年大会優勝よりは秋TでSF行ったとかのほうがよっぽどすごいです。同期の未経験者が学年大会で活躍していたら「よかったね」でいいし同期の経験者が学年大会で優勝していたら「ふーん私はオープン大会でブレイクしたけどね」とかそういうメンタリティでいいのではというのが私の意見です。自分の優越感を守るために学年大会とかいうコンフォートゾーンにいてもしょうがないですし、そのお気持ちプライド戦争に未経験者が巻き込まれているのが普通に可哀想です。

 オープン大会でのOBOGのブレイク独占などという問題はありますが、少なくとも秋Tなどの学生限定大会でのオープンブレイクは経験者なら努力次第で十分可能です。未経験者が経験者を学年大会で倒すよりは経験者が先輩を倒すほうが簡単です。既に基本的な事項を知っているという点で2,3年生の先輩と大して遜色ないです。あとは慢心しないだけです。

 前述しましたが、高校の経験によるアドバンテージは時間経過に伴い劣化していきます。だとすれば現時点でアドを使って未経験者にマウントを取っていても将来的には追いつかれるだけです。やるべきなのはそのアドバンテージを生かして成長するために自分より格上に挑んでいくということであって、まだ一年生であるというチャレンジャーとしての立場を利用してどんどん先輩にかみついていく(これはジャッジにという意味ではない)べきです。

 n回目の話をする自分騙り老害で申し訳ないのですが、私は一年時から上記のような事を思っていたので学年大会は2年生が出られる大会GeminiCup 2016とBP Novice2016にしか出ませんでした。Umekoなどはトライアウトだけ受けて辞退しました。Gemini優勝したし秋TもGFまで行ったし、UmekoCupに出る理由がなかったからです。夏休みなど他大からわざわざ院生やら3、4年生の先輩に来てもらって対戦したり上級生がいるラウンドに出向いて毎日ぼこぼこにされていた記憶があります(特に溝上栗田さんフジックスにメタメタにされてた)。なぜそうなったのかは覚えてないのですが2016年の私は只管殺意があって、取りあえず先輩を絶対に倒すという殺意で燃えていて、全員殺すという精神でディベートしていました。2年生も3年生も4年生も院生も社会人も知らねえよ全員死ねばただの死体だろうがってずっと言ってた中二病精神障碍者だったのですが、結果的にその時の投資が後々に活きたと思います。仮に学年大会に煩わされていたらその後の自分は大きく違ったと思います。

 梅子とか2年時のGeminiCupとか、毎年経験者のほとんどが「出ないで他の誰かが勝つのは嫌だけど負けたら嫌だから出たくない」みたいな状況に陥って苦しくなっているし、そんなに苦しいならそろそろその囚人のジレンマを辞めてしまえばいいのにといつも思っています。 

別に出たいと思うなら出ればいいし、それが権利であり私の関与するところではないという事は重々承知ですが、経験者の中で「出なきゃいけない」「勝たなきゃいけない」みたいなプレッシャーを感じている人間がまた将来現れるのであれば、別に出る意味も義務も必要も便益もないので出ないことは十分に取りうる選択肢であるという事を伝えたいです。今のところ一年生大会を全部スキップした経験者は知るところ私だけなので、勝手に苦しくなってる経験者の皆さんが高校ディベートで肥大化したプライドの呪縛から解放されることを願うばかりです。大学に入って心機一転、チャレンジャーとして先輩を倒しましょう。